熱 帯 夜
遠矢



女王陛下のお膝元、この聖地にも、ささやかながら季節がある。穏やかすぎる移ろいは時を忘れさせるのには十分だったが。
極々まれに起こる女王の気紛れは、だから、聖地に大きな変化をもたらすのだった。

ここ数日、聖地はとても暑かった。夏の到来にはまだいささか早い。とにかく、季節外れの暑さだった。
オリヴィエはここぞとばかりに、一足先に夏のおしゃれを楽しんでいる。ただでさえ露出度の高い衣装を、さらに華やかに装う。もちろん、日焼け対策はバッチリ。髪も「暑いから」といってアップにしていることが多いようだ。
そして、人を装うことも好きなオリヴィエの被害に、マルセルが遭ったとか遭わないとか。

もっとも、オリヴィエだけでなく、守護聖たちも各々薄着をしている。この暑いのに守護聖の正装などとてもじゃないがしていられない。Tシャツに短パンという軽装。それでも汗が流れる。
対して、年若い者たちから ―― これは主にゼフェルなのだが ―― ずるずる組、と称されている人々は、この暑さにもかかわらず変わらぬ服装だった。長く重そうな衣装で身をおおって、そのくせ汗一つ見せない。

そしてそれはもちろん、ルヴァも、だった。



「あちー……」
ばたばた、とゼフェルはタンクトップの胸元を仰いだ。よく日に焼けた肌に、玉のような汗が浮かんでいる。
ルヴァは、そんな彼の様子を眺めて、くすり、と笑みを零した。

いつもの、ルヴァの私邸でのゼフェルとの勉強会。その後の二人だけのお茶の時間を、ルヴァは密かに楽しみにしていた。彼の大事な少年は、いつも彼を飽きさせることはない。
いえ、もう「少年」と括ることは出来ないのかもしれませんね、なんて思いながら、ルヴァは熱いお茶をすすった。瞬間、なぜだかゼフェルがひどく厭そうな顔をしたのに気付き、どきっとしてしまう。

「あの……ゼフェル?」
「おめーさ、そんなカッコで、あちーお茶飲んで、暑くねぇの?」
へ?とひどく間抜けな表情をルヴァはしてしまった。
「え?えぇ、あぁ……この服はね、見た目ほどそんなに暑くはないんですよー。それにですね、暑い時にはどうしても冷たいものばかりとってしまうでしょう?それは健康にあまりよいことじゃなくってですねぇ。ですからむしろこういう熱いものをとった方が健康には……」
「そーゆーことを言ってんじゃねぇよ」
今度はあからさまに不機嫌な顔で、ゼフェルが言った。ルヴァがこれでも気を利かせて出した冷たいお茶を、ごくごくと一息に飲み干し、かたん、と茶托に置く。
「おめーは暑くねーのかもしんねーけどー、見てるこっちは暑苦しくてたまんねーんだよっ!」
「そ、んな…っ…」
「わりーなっ。オレ、今日はもう帰って寝るわ。あんまり暑くて、気持ちわりーかんな」
ルヴァの言葉を全部まで聞かずに、がた、と椅子を鳴らしてゼフェルが立ち上がった。

「あ、あのっ!今日のお夕食の約束は……っ…?」
「んー……夜になって涼しくなったら、また来るよ。んじゃあな」
ひらひら、と手を振りながら、後ろも見ずに去っていってしまう。
「あ……ゼフェルっ……」
追いかけようと伸ばした手が宙で止まり、そしてぱたりと落ちた。そのままへなへなと床に座り込んでしまう。
「ゼフェル……」

心待ちにしていた時間、だったのに。何がいけなかったのだろう?
ふと視線を落としたルヴァの目に、自分の衣服が映った。砂漠で暮らすもの特有の、肌全体を覆い隠す厚い衣装……。
「私の格好は、そんなに暑そうなんですかねぇ…?」
ポツリと呟いて、ルヴァは再び自分の服を眺めた。


―――――――


昼間の自分は大人げなかった、とゼフェルは思う。

日も落ちて、ようやく少しは涼しくなった聖地を、ゼフェルは歩いていた。行く先はもちろん、ルヴァの私邸である。
大好きで大事なルヴァとの時間だったのに、ついつい八つ当たりをしてしまった。別に暑いのはルヴァの所為ではないし、ルヴァが肌を覆う格好をしているのも、ゼフェルが怒るようなことではない。 ただあの時は、自分の前でも平然とした態度を崩さないルヴァに、なぜだか無性に腹が立ったのだった。

はぁ、と珍しくゼフェルは溜め息をつく。
いつも、ルヴァには甘えてしまう。ついついワガママを言って、困らせてしまう。そしてその度に後悔するのだ。いつまでルヴァが許してくれるのか。昨日許してくれたからといって、今日も許してくれるとは限らないのに。
理不尽な怒りを突きつけたゼフェルを、はたしてルヴァは許してくれるのだろうか。……まだ、好きでいてくれるだろうか?
後悔で押しつぶされそうな想いを抱いて、ルヴァの邸の前に立つ。
言ってしまった言葉はもう取り返すことが出来ないけれど、せめて謝ることぐらいは出来るはず。
震えてしまいそうな拳をぐっと握り締めてドアを叩く。ルヴァの顔を見たら、まず最初に謝ろう――。

がちゃり、とドアが開いた。
ゴメン、とゼフェルは頭を下げる。しばらく待っても返事が返ってこないことに、急に不安になって、ゼフェルは恐る恐る顔を上げた。
いつも微笑ってゼフェルを迎えてくれるはずのルヴァの姿は、そこにはなかった。かわりに、邸の主と同じ穏やかな人柄の執事が、少し困ったような顔をして立っていた。

ずき、と胸の奥が痛くなる。
「ル、ヴァは……?」
執事が、こちらへといって先に立って歩き出した。
またどきりとする。何もかもいつもと違う。今のゼフェルには、ふわりと微笑う執事の顔は目に入らなかった。妙に長く感じる邸の廊下を彼の後について歩きながら、ゼフェルはぎゅっと胸を掴んだ。自然と顔が俯いていく。
いよいよ、見捨てられたのだろうか。後悔。後で悔やむくらいなら、しなければいいのに……だがその一時の感情を隠せるほど、ゼフェルは大人になりきれていない。
涙の滲んでしまいそうな瞳を堅く閉ざした途端、俯いていた頭がとすん、と何かにぶつかる。
「こちらです、ゼフェル様」
ぶつかったのは、立ち止まった執事の背中だった。

顔を上げたゼフェル。その視界が不意に開けた。執事がゼフェルに場所を譲ったからなのだが、その視界の中でルヴァがにっこりと微笑っていた。
「すみません、お出迎えもしないで……慣れない服で、恥ずかしかったもの、ですから……」

言われてルヴァの服装に目をやる。わずかに目を見張った。
昼間とは打って変わった涼しげな服装。肌を覆い隠す衣装は相変わらずだが、普段よりははるかに薄手の布で作られている。そして何より違うのは、その襟元だった。いつもぴっちりと覆われているその襟元が、今日はゆったりと開いて、白い肌が晒されていた。

どきっと、した。

「おめー、その服……」
「あの……やっぱり、変でしょうか」
かぁ、と紅くなりながら、ルヴァが恥ずかしそうに呟いた。ゆったりと膝の辺りまである上衣を腰紐で緩やかに留め、同質の素材で出来ている下衣を履いている。柔らかな色合いのその服は、ルヴァにとても似合っていた。
「昼間の服装は、ですね……確かに、私は暑くはありませんでしたけど、見ているあなたには暑苦しく感じられるものでしたよね。本当にすみませんでした」
す、と頭を下げる。
「な、何でおめーがあやまんだよっ…!ワリィのはオレだろ?おめーに先に謝られると、オレ、どうしたらいいか……」
「あ、すみません…」
思わず頭を下げてしまってから、ルヴァはクスクスと笑い出した。つられるようにゼフェルも微笑ってしまう。

「こちらに、いらっしゃいませんか?」
何時までも突っ立ったままのゼフェルをルヴァが招く。いつのまにか執事は姿を消していた。差し出された手を取り、その細い指に己の指を絡める。ルヴァに手を引かれて歩んだ先は、テラスだった。薄闇の中に古風なランプが置かれたテーブルが見える。
「偶には、こういう夜もいいでしょう?」
振り向いてくすりと微笑ったルヴァは、ほんのり揺らめくランプの灯りのためか、それとも襟元の緩やかな服装のせいか、いつもと違って見えた。
こんなルヴァの姿。他のヤツラには絶対見せらんねぇ。
ゼフェルは強く思う。たとえこんな想いを抱くのがゼフェルだけだったとしても。それでも絶対に見せたくない。



その夜の食事は、ゼフェルの好きなスパイスを効かせた料理だった。
「あなたの前でなら、偶にはこういう格好をするのも、いいですね」
にっこりと微笑ったルヴァの頬に、ゼフェルはそっとキスをする。

暑い夜。熱帯夜。
肌に纏わりつく暑さも、ルヴァと一緒なら楽しいかもしれない。



そして……
ゼフェルは、ルヴァと一緒に熱い夜を過ごした。



Fin



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