光在る場所




 あの日と同じように、桜を覆う蔦の隙間から陽光が降り注ぐ。
 光る緑に光る紅が混じりあう目も眩む様な光景を想い、膝を緩く抱いた侭の恰好で梢と思しき辺りを仰ぎ、目を閉じる。漏れ落ちる日の光が瞼に落ち、見えぬ視界が紅く、温かくなる。
「……要君、休憩中ですか」
「!」
 不意に掛けられた声に驚いて目を開く。廻らせた視界に良く見知った人影が映った。
「―――先生、でしたか……はい、手入れが一段落ついたので少し休憩していました」
 緩く息をついて笑みを向け、頷いて見せる。そうでしたか、と柔らかい笑みが返され、何処か遠くを浮遊しかけていた心が舞い戻り胸許が温かくなる。あの日怜悧に見えた視線は、部屋に招かれた時から今迄ずっと、柔らかい笑みを伴って要へ向けられていた。
「まだ休憩中なら、隣に座ってもいいですか」
「ええ、勿論です」
 綻んでいた笑みを更に深くして、嬉しそうに要は頷いた。隣に並ぶ様に座る幹彦が、先刻の要と同じように梢を見上げる。
「…今年も、きっと綺麗に咲くのでしょうね」
「綺麗に咲いてくれるといいなと思います」
 同じく見上げ直しながら返す要を、視線を下ろした幹彦が見遣って微笑む。
「要君が丹精した薔薇です、きっと綺麗ですよ」
「先生にそう云って頂くと、本当にそうなりそうな気がします。…花が咲くまで頑張らなきゃ」
 少し照れた風に笑う様子に、幹彦の目許が眩しそうに少し細められる。
 そうしてもう一度薔薇を見上げるふたりの頭上を、小さな影が横切っていく。あ、と小さな声を漏らして要はその影を視線で追い、暫くして聞こえてきた囀りに目を細めて笑んだ。
「雲雀ですよ、…可愛い声ですね」
 囀りながら空に舞うその姿は見えないものの確かに届く声に耳を傾ける要を見遣り、幹彦も同じように空を見上げる。
「……可愛い、ですか」
 ええ、と頷く要に、幹彦の目許が緩む。
「可愛い……です、ね。…一生懸命に、啼いている」
「…一生懸命に囀って、空を飛んで、…誰かを探しているんです、きっと」
「………誰を、探しているんでしょうか」
「そうですね……」
 空を見上げた侭、要は首を傾けた。少し思案する風にして、ふ、と笑みを浮かべる。
「多分、大事な人を見付けに行くところ、なんですよ」
 返る言葉に幹彦は上向いていた頭を戻し、隣に座る要を見遣った。その視線に気付いた要は、少し照れた風に笑んで小さく頭を掻く。
「……なんて、少し浪漫的ですね」
「―――いえ、要君がそう云うなら、きっとそうなんでしょう」
 冷やかしもせず、否定もせず、幹彦は同意する様な笑みと共に深く頷き返す。胸の中がまた少し温かくなった気がして、要はもう一度空を見上げた。



 遠くから、小使い長の鳴らす鐘の音が聞こえてくる。ああ、と気がついた様に零すと幹彦は立ち上がり、要に手を伸ばした。
「次の時間に授業がありますので、私は失礼しますね。…今日の夕方は、また遊びに来ますか」
「はい、…少し遅くなるかもしれませんけれど、お伺いします」
「待って居ますよ」
 頷き返すその頭を緩く撫でて笑みを向けると、服に付いた葉を軽く叩いて幹彦は歩き出した。途中で一度立ち止まると、手入れの続きをしようと立ち上がる要を振り返り、遠く声を向ける。
「そうそう、この前図書室で薔薇に関する文献を見付けたんですよ。原種が何か判るかもしれない、今度借りてきますから、一緒に見ましょう」
 嬉しい言葉に要の表情が明るくなる。
「是非、お願いします! 楽しみにしてますね」
 嬉しそうな様子に目を細めて頷きだけ返し、軽く手を揚げて幹彦は学舎へと向かう。その背を見送りつつ、要も何度か手を振って見送った。
「―――さて、明日は花壇も見てやらなきゃいけないし、できるだけ手入れしておこう」
 先刻の幹彦同様服に付いた葉を叩いて落とし、もう一度蔓薔薇へ向かう。
 枯れた桜に纏いつく瑞々しい蔦と、それを覆い日の光を精一杯に浴びようと繁る葉。固く閉じた蕾が綻び紅の花が香るまで、後もう少し。
「大事な人、…か」
 先刻己が零した言葉を反駁して小さく笑むと、腕捲りをして要は脚立へ手を伸ばした。





<終>

b a c k


t o p