もうひとつの役目
〜 玄 武 篇 〜
如月×主






 幾度となく、夢の狭間で耳にした声。目覚めるといつも内容は忘れてしまっていたけれど、その悲痛な声音の残響だけは確かに耳の奥に残っている。
 酷く気にかかる想いが心の何処かに引っかかったまま目覚めた朝は、決まってぐっしょりと汗をかいていた。
 気になりながら、けれど憶い出す事も出来ず。





 欠けていたその一片が己が内ではっきりとした形をとったのは、黄龍の元に集った仲間と共に臨んだ最終決戦の最中。
 柳生を倒し、黄龍に身体と精神を乗っ取られた過王須と対峙したその時だった。



『奴を倒せ―――――暴走した黄龍を屠るは汝ら四神の務めなり―――――』



 突如頭の中で木霊したその声は、忘れもしない、幾度となく夢の狭間で自分に囁きかけ続けたあの声だった。そう知覚した瞬間、同時に、その声が繰り返し何と言っていたのかを憶い出す。
『四神たる汝らの使命は、黄龍とその器の守護』
 物心つく以前から飛水の血を引く祖父に言い聞かされてきた、己が役目。祖父が真剣な貌で幼い翡翠に幾度も説いた、あの言葉と同様の意趣を告げる声。
『そして―――――』
 声が続ける。
『そして、暴走した黄龍を屠るのもまた、汝ら四神の務め―――使命なり』
 愕然としながら、変容を始めた過王須を凝視する。
 四神とは、黄龍とその器を護るための存在ではなかったか。……四神とは、黄龍を屠る存在でもあるということか。


 世の平穏を乱す力となったその時には。

 せめて四神の手で安らかな『死』を黄龍に―――――


 はっとして視線を廻らせる。
 四神は自分だけではない。視界に、西方守護『白虎』の任を負う醍醐の姿が映った。一瞬の後かち合った視線、その瞳の奥に隠し切れない動揺を見つけて愁眉を曇らせる。
 けれど、今は逡巡している時ではない。己の大事なものを護るため。この東京を、我等が黄龍―――――緋勇龍麻を護るため。
「舞子、『女神の光』で援護頼む!裏密はできるだけ『愚者たちの影』をかけてくれ。その後村雨と御門、劉で雑魚の殲滅、足の速い京一と如月は敵の攪乱。粗方片付いたら俺と壬生、醍醐で接近戦に持ち込むからなッ」
 龍麻の的確な指示が飛ぶ。白刃を閃かせながら目配せすると、いつものように不敵な笑みを湛えた京一が右翼へ展開した。それを確認しながら左翼へ飛んで敵の数と位置を確認する。
 過王須の咆哮と時を同じくして、龍麻の声が辺りに響き渡る。
「―――――皆、いくぞッ!」
「おォッ!」
 其々が思い思いにその掛け声に応え、決戦の火蓋が切って落とされた―――――





◇   ◇   ◇





 雨戸を閉めようと窓を開けると、いつになく星が沢山見えることに気付いた。春の気配を交えたとはいえ、まだ風は冷たい。雨戸に掛けた手が冷えていくのを感じながら、微かに星が瞬く夜空を見上げた。
 吐く息はまだ真白。
 がたがたと軋む雨戸を閉め終えると、古時計が7時を告げた。消えかけていたストーブに火を入れて立ち上がると、ふと、棚の上に置かれた写真立てに目が行った。
 いつだったか。麻雀仲間だった村雨が、京一や壬生、果ては劉や醍醐、龍麻までも引き連れて麻雀をしにきたことがあった。言い出したのはやはりというか京一で、その時近くに居た連中や途中で偶然会った者までも巻き込んでの来訪、という醍醐の話。済まないな、と自分の所為でもあるまいに、律儀に頭を下げてくる彼に如月は苦笑するしかなかった。ライブのチケットを渡しに来た雨紋まで巻き込み、いつもは閑静な骨董店が、骨休めの札を出し仕舞いには閉店しなければならないような賑わいを見せた過日。
 麻雀をしたことのない者と経験者で組んで飽きるまで打った後、今度は飲み会じみた騒ぎにまで発展していく状況に、頭を抱えたのは如月だけではなかった。
 けれど、楽しかったことも本当で。そうして出来上がってしまった者もちらほら出てきた時分、ライブで使いかけたという雨紋の使い捨てカメラにフィルムが残っていることが判り、異様な盛り上がりのなか記念に、と、撮られた写真。わざわざ焼き増しして届けてくれた雨紋に悪い、と思う気持ちが半分、あと半分は、同じ闘いに身を置いた仲間との目に見える記憶を置いておくのも悪くない、という、如月にしてみれば珍しい気紛れから、その写真は骨董店の奥座敷の一間に飾られていた。
 背後から遊び半分で首を締め上げられ大袈裟に騒いでいる者、知らぬ顔で飲んでいる者、カメラ目線で格好をつけようとして失敗している者。其々の様子は様々だったけれど、誰の顔にも笑みが湛えられていて。知らず、如月の口元にも笑みが浮かんだ。
 ひとりひとりの顔を追っていたその瞳がある一点で止まる。
「龍麻…」
 底の見えない想いを乗せて密やかに名を呟き、つい、と伸ばした指先で写真立ての硝子に触れた。微笑う龍麻のこめかみから喉元までをゆっくりと辿る。




  ススム





カエル