2009.05.31 UP ― 村×主

君だけを
〜1〜


 東京都は北区にひっそりと建つ、古びた外観の骨董店。ぴたりと閉じられた表戸、軒先に下がる年代物と覚しき掛札―――墨跡鮮やかに『骨休め』と書いてある―――の、更に奥。文机に置かれた古書を静かにめくる骨董店店主の目の前で、ひとりの男が深く深く溜息をついた。
「どうしたんだい、龍麻。溜息なんかついて」
 紙面へ視線を落としたまま、静かな声でそう訊ねた。んー、と生返事をしながら顔の向きを変え改めて机に突っ伏し、怠そうに目を開く。
「どうもしないよ。…面白いことないなーと思って」
「退屈している、という訳だ」
「うーん。そんなトコかなぁ」
 伏せていた身体を重たそうに起こした龍麻は、両手で頬杖をつき窓の外へと顔を向けた。薄雲のかかったはっきりしない今日の天気はまるで、今の彼がまとう雰囲気そのもののようだ。
「なぁ、翡翠。みんなでどっか遊びにいこーよ」
「…いいね。どこへ行こうか」
「そうだな、…海―――は、まだちょっと早いし」
「なら、山はどうだい。キャンプなら早いってことはないだろう」
「キャンプ楽しそうだな。京一と雄矢も誘おう。それから、葵と小蒔と」
 書物へ落としていた視線を上げ、僕の提案に顔を綻ばせる龍麻を視界の端で見る。顔は笑っているけれど、なんとなく表情が硬い。
「織部姉妹も呼ぼうか。それから壬生と」
「いいね。どうせなら賑やかにしよう。…雷人も声かけたら来るかな。舞子と亜里沙にも連絡して、―――いっそのことみんなに声かけてみよう」
「うるさいくらい賑やかになりそうだね。―――ああ、偶には御門と村雨も呼んでみようか」
「村雨は呼ばなくていいよ。―――あ」
 口をついて出た言葉に気付き、龍麻はとっさに自分の口を自分の手で塞いだ。その姿を見てようやく得心がいく。
「溜息の理由はやはり村雨か」
 そう言うや否や、龍麻はがばっと跳ね起きた。
「違うって! そんなこと―――」
 僕の台詞を精一杯否定しようとする。その行為そのものが先の台詞を肯定していると、どうして気がつかないんだろう。彼ほどの男が。―――それだけ奴との間に深い何かがあるということか。という考えに至り、そんな自分につい苦笑する。
 手許の古書をはたりと閉じ、床へ軽く手をついて龍麻と正面で向き合う体勢で座り直す。笑みを僅かに敷いて、じっと目を見据えた。数秒の間を置き、その視線に耐えかねた龍麻の身体が僅かに後ろへと退いた。
「どの辺りが違うんだい」
「―――それ、は…」
 ぐ、と顎を引くようにして彼が言葉に詰まる。なんだか僕が苛めているみたいだ。けれど、奴と何かある度に僕のところへ来られても困る。
「違わないだろう? いつものことだ。―――もういっそのこと、見限ったらどうだい」
「………そういう―――問題じゃあ、ないんだよ」
 視線を畳へと落とした彼が、ぽつりとそう言った。おや、と首を傾げる。どうもいままでとは様子が違う。いつもならここで『あいつがバカなんだよ!』と叫んだりする筈なんだが、もう少し深刻らしい。
 なんて声をかけようかと思案していると、不意に龍麻は立ち上がった。はっと気付いて顔を見上げたけれど、表情は判らなかった。
「…龍麻」
「御免、今日は帰る。―――キャンプの話、また今度しに来るよ」
 じゃあ、と踵を返したその背中は頑ななまでに引き留めることを拒否していて、呼び止めようとした声を飲み込むしかなかった。
「―――ああ、気をつけて。何かあったらまた来てくれ。いつでも、…待ってるよ」
「ん、…ありがとう」
 障子の向こうへ姿を消す直前にこちらへひらりと手を振り、龍麻は帰って行ってしまった。
 窓の外、空は相変わらず薄い雲をまとったまま、あいまいな表情を浮かべていた。
「まったく、…何をやってるんだ。彼にあんな顔させて、―――選ばれたという自覚もないのか」
 贅沢過ぎるにもほどがある。閉じた書物の続きを読もうと開きながらひとり溜息をついていると、何やら表から大きく忙しない物音が聞こえてきた。
 玄関の呼び鈴は聞こえなかった。玄関と店先の木戸には鍵をかけてある。となれば換気のため開けていた濡れ縁から上がり込んだということだろうが、それはそう簡単にできることじゃない。この家に来慣れていてこの家の『仕掛け』に詳しい者、といって思いつく顔はそう多くない。
 そんなことを考えている間にも、物音―――足音はこちらへと近付いてきている。眉をひそめて顔をあげるとほぼ同時に、よく見知った顔が障子の向こうからぬっと現れた。
「如月! こっちに―――」
 想定通りだったその男の、人の家へ勝手に上がり込みあまつさえ挨拶も無しで人の名を大声で呼ぶという傍若無人ぶりに、知らず溜息が零れる。
「この家はいつからキミの家になったのか、是非聞かせてもらいたいね。…そんな年にもなって呼び鈴すら鳴らせないのか、キミは」
 じろりと冷えた視線を投げてやると、村雨は喰えない笑みをへらりと浮かべて障子の縁に軽くもたれかかった。そのまま腕を組み僕を見下ろすように顔を向けて、首を傾げる。
「まァそう怒るなよ、オレとお前の仲だろ?」
「そんなこと言われるほどの仲だと思ったことは今までただの一度もないな。…その根拠の無い自信は一体どこからくるのか…」
 眉間へ指を当てて深く深く溜息をつく。そんな僕の言葉をどこ吹く風といった風に村雨はするりと受け流し、僕が言わないなら自分で捜すとばかりに今居る部屋を中心にそのぐるり周りへと神経を張り巡らせはじめた。
 今日はどうも、本を読める日じゃないらしい。軽く肩を竦めて広げていた古書を閉じ、奥へと向けられている横顔を見上げた。
「龍麻を捜しているのなら、ここには居ない」
「…どこ行った」
「僕が知るわけないだろう。…それに、例え知っていたとしてもキミには教えたくないね。―――龍麻にあんな、辛そうな顔をさせて。どういうつもりだい」
 僕の台詞を聞いた村雨の顔から、ついさっきまで浮かべていた喰えない笑みが潮が引いていくようにさあっと消えていった。少しは思うところがあるらしい。誰も彼もが慕う彼を独り占めにしているんだ。それくらい思っていて貰わなければ。
 ふ、と息をついて古書を手に立ち上がり、表の店へと向かう。
「キミのツキとやらも相手が龍麻だと形無しのようだ。―――彼ならついさっきまでここに居たよ。…どこへ行ったかは知らないけどね」
「…恩に着る」
「そう思うなら、いつでもしっかり掴まえておいてくれ。…でないと」
 廊下の角で立ち止まり、半歩引いてこちらへ向けられている視線を真っ直ぐに見返した。
「僕が、貰うよ?」
 僕のその言葉に村雨は一瞬ぽかんとした表情を見せた。そこへ厭味な程にっこりとした微笑みを投げてやり、踵を返して再び歩き出す。
「―――ッ! てめェ、ンなコトさせるかよ…っ!」
 我に返った村雨が上げた遠吠えのような声に、少し胸がすっとした。言った瞬間に村雨が浮かべた表情を思い出しくすくすと笑いながら店先の木戸の鍵を開けて、骨休めの札を外す。空にはまだうっすらと雲がかかっていた。
「早く晴れるといいな」
 誰に言うともなく零し、札を手に僕は店の奥へと戻った。



ススム

カエル