2009.04.26 UP ― 犬+主

消えた涙の行方
〜5〜


 先導してくれる芙蓉の数歩後ろについて、広い庭を奥へと進んでいく。テレビの隙間番組なんかでたまに紹介される『日本全国の由緒正しい庭園』を思い出させるような景観についつい見惚れてしまい、足が止まりがちになってしまう。
 素人目にも立派な枝ぶりだなと感じる庭木は端正に刈り揃えられ、敷き詰められている細かい白石は少しも乱れることなく綺麗な紋様を描いている。日本庭園というものがどんなものかなんてよく知らないけれど、多分こういう庭のことを言うんだろう。そしてそんな庭が普通にある辺り、御門の家はやっぱり大した旧家なんだな、と今更ながら実感する。
「龍麻さま、こちらです」
 ゆったりと歩きながら目に鮮やかな緑を見回していたら、いつの間にか違う方へ行こうとしてしまっていたらしい。不意に呼び止められ慌てて踵を返す。
「ごめん、ちょっとよそ見してた。―――庭、綺麗だね」
「いえ。…? そうですか?」
「うん。ここが都内だってこと忘れそう。時間の流れまで違うみたいだ」
 そんな会話をしながら歩いていると、不意に立ち止まった芙蓉にぶつかりそうになった。
「っと、ごめん、芙蓉」
「龍麻さま」
 謝りながら芙蓉へ目を向けると、何か不思議な見るような、なんとも言えない表情で首を傾げていた。
「なに、どうかした?」
「…ここは間違いなく、都内に在る晴明さまの邸内ですが」
「―――いや、うん…それは確かにその通りなんだけど、そうじゃなくて」
「?」
 単なる比喩表現に突っ込まれるとは思わなかった。こんなこと、説明も何もないだろうし、というかそもそも説明するようなことじゃないしなぁ、と少し途方に暮れる。芙蓉と同じ方向へ首を傾げながら説明の要領を考えていたら、その様子が面白かったのだろう、後ろからついてきていた村雨が笑い声を上げた。
「先生、そういう会話は御門としてくれ。芙蓉は首傾げてねェでさっさと案内しろ」
「失敬ですね。…私は晴明さまの命で龍麻さまを案内しているのです。御前に指図されるいわれはありません」
 芙蓉は少し顔を顰め傾げていた首を戻すと、薄く笑みを浮かべている村雨をじろりと睨み付けた。相変わらずだな、と内心苦笑しながら、半歩踏み出し芙蓉の顔を覗きこむ。
「芙蓉、村雨はいいから。…御門の居るトコってまだ奥なのか?」
 直ぐに人をからかうのが村雨の悪い癖だ。それにいちいちちゃんと返事をしてしまうのが芙蓉だから、村雨も面白がってわざとからかう。そんなところは十年前とちっとも変わっていない。
「はい。…晴明さまは、もう少し行ったところの庵にいらっしゃいます」
「ん、あんまり待たせちゃ悪いし、行こう」
 肩をとんとんと軽く叩いて先を促すと、芙蓉はこくりと頷いて再び歩き始めた。続いて歩き出す俺の後ろで、村雨が肩を竦めながら大げさに溜息をつく。
「先生はやっぱり相変わらず酷ェなぁ」
「どこが?」
「ヒトのこと無視してんのかと思いきや、しっかり意図汲んでくれてるとこ、とかさ」
「それ、酷いって言うのかよ」
「酷ェだろうが。ンなことされたら、何も言い返せねェ」
 恨み言だかなんだかよく判らない台詞を零す村雨に、思わず吹き出してしまう。
「村雨も相変わらず性格悪いよね。どうなるか判っててやってるだろ」
 肩越しににっこり笑いながらそう言うと、村雨は片眉を上げるようにしてにやりと笑った。
「先生にはそれ言われたかねェな」
「ほらまたそういうこと言う」
 オレと村雨のやりとりが聞こえたのか、芙蓉が今度は何だろうと怪訝そうな貌で振り返った。
「龍麻さま、…村雨がまた何か言いましたか」
「いや、ううん、何でもないよ。大丈夫」
「そうですか」
 うんうん、と何度か頷いて見せると、芙蓉は少し首を傾げながらも前を向いてくれた。
「先生も気苦労が絶えないねェ」
「張本人が言うな、莫迦」
 直ぐ後ろでにやにやと笑いながら村雨がそんなことを言うので、苦笑混じりに言い返しながら脇腹を小突いてやろうと腕を伸ばした。それをするりと躱して身軽に数歩後ろへ飛び退る村雨に、肩を揺らして笑う。
 そんなことを時折やり合いながら、更に奥へと歩いていく。
 庭を吹き抜けていく風の心地良さに目を細め、さわりと微かに聞こえる笹の葉擦れの音に耳を澄ませる。そうして暫く歩いているとやがて、道の先に小さな建物が見えてきた。乏しい知識でも『庵』と言われたらこれのことかな、という風情がなんとも良い味を出している。その周囲を取り囲む生け垣の端にひっそりと設けられた小さな押し戸の前で、芙蓉がようやく立ち止まった。
「こちらからどうぞ」
「ありがとう」
 押し開けた扉を押さえていてくれる彼女に軽く頭を下げて通り抜ける。そうして辿り着いた建物の角で芙蓉は立ち止まり、見えぬ向こう側へ深々と頭を下げた。
「晴明さま、龍麻さまをお連れいたしました」
 仲間同士ならまずないだろうこういう場面を目にする度、芙蓉は御門の式神なんだということを実感する。『式神』なんて存在に慣れてないオレからすれば、芙蓉の気配はヒトのそれにとてもよく似ているし、オレは芙蓉を『仲間』だと思っているから余計、こういうやりとりを見る度に少し、どきりとする。
「御苦労でした。こちらへ」
 庵の角を曲がるとそこには、記憶よりも少し大人びた姿の御門が居た。
 どうやら庭に来ていた鳩へ餌をやっていたようで、直ぐ傍の土の上にパンか何かの屑のようなものが幾つか落ちていた。それを競うように啄んでいる鳩たちを驚かせないよう、御門は手をそっと叩いて屑を払うと濡れ縁の上で居住まいを正した。若草色の着物に扇子を携えて、という出で立ちがとても彼らしい。
「龍麻さん、お久しぶりですね。元気そうでなによりです」
「御門こそ、元気そうでよかった。―――今日は急に来て御免。村雨のこと呼んでたみたいだし、忙しいなら日を改めようと思うんだけど、…大丈夫か?」
 にこやかに出迎えてくれた御門と挨拶を交わした後、一番気になっていたことをまず訊ねる。言い出したのは村雨だけれど、いきなり押しかけてしまうことになったのは事実だ。迷惑はかけたくない。そう思いながら返事を待つオレを見て、御門は微かに肩を揺らして笑った。
「村雨を仕事で呼んだのは事実ですが、久しぶりに帰国した旧知と話す時間が取れぬほど忙しい訳ではありませんよ。龍麻さんさえ良ければ、気にせずゆっくりしていってください」
「そうか? ―――それなら、…せっかくだしオトコバに甘えちゃおうかな」
「ええ、是非。…今芙蓉がお茶を淹れにいっていますから、そこへかけて少し待っていてください」
「うん、ありがとう」
 御門の台詞にほっと胸を撫で下ろし、勧められるまま濡れ縁に腰かけた。
 パン屑を食べ終えた数羽の鳩は、尚も辺りをうろうろと歩きながら、時折小さく鳴き声を上げている。その姿に幾分か和みながら、折良く吹き抜けていく風に目を細め、身体から軽く力を抜いて両の足を投げ出した。自然と笑みが零れる。
「今日は新宿で村雨に会えてラッキーだったな。…実は昔の連絡先しか知らなくてさ、しかも来たのが急だったから、3人には今回会えないんじゃないかと思ってたんだ」
「村雨の運の良さはある意味壊れていると言っていい程ですから、そういう点ではしっかり役に立っているということですね」
「それ褒めてねェだろ。ちったぁ言い方考えろ御前」
 濡れ縁のふちに腰掛け柱に凭れて話を聞いていた村雨が、御門の台詞にすかさず文句をつけた。けれど御門はどこ吹く風といった様子でその台詞を受け流し、手にしていた扇子を何気ない仕草で開き軽く扇ぎながら、話を続ける。
「そう言えば、いつ日本へ?」
「一昨日の夜、成田に。…その日は遅かったから、新宿まで出てきたんだけど、特には何も」
 完全に無視された格好の村雨が『人の話くらい聞けッてぇの』とぶつぶつ言うのが聞こえた。ふたりの立ち位置は今も余り変わらないらしい。それがなんだか懐かしくて、ほっとする。
 ふむ、と思案気な面持ちで少し首を傾げていた御門が、改めてオレへと顔を向けた。
「…昨日は何を?」
「―――それ、さっき村雨にも訊かれた」
「おや、そうでしたか。…村雨と一緒、というのはなんだか面白くないですね」
「案外似たもの同士なのかも?」
「止めてください。…冗談じゃありません」
 本気で厭がっているように見えて、つい吹き出してしまった。ほんとうにあの頃のままだ。
「先生、吹き出すほど笑うこたァねぇだろ…ったく」
「ごめんごめん。いやほんとにそういうとこ変わらないなと思ったら、つい」
 腕を組んで難しい貌をする村雨に、吹き出した勢いで笑いが収まらぬまま、取り合えず『ごめん』と頭を下げる。
「御門も、ごめんね。―――ええと、昨日の話だよね。平日だったから真神に行ってきたよ。誰か知り合いに会えないかなと思って。…久しぶりで懐かしかった」
「いえ、私は別に。…そう、真神へ。誰か知り合いには会えましたか?」
 また、村雨と同じことを訊かれる。ここまで一緒だと余計に可笑しくなってくる。
「ううん、…担任の先生は途中で辞めちゃったし、昨日見た感じだと当時居たのって事務の人くらいかもしれない。残念だけど、知ってる人は殆ど居なかったよ」
 そう言うと、御門がやけに不思議そうな貌をした。―――ここへ来る前、同じことを話した時に村雨が見せた表情によく似ている。何も可笑しいこと言ってないと思うんだど、何が不思議なんだろう。
 一応訊いてみようかと口を開きかけたそのとき、御門がぱちりと音を立てて扇子を閉じた。
「十年前、旧校舎地下に御一緒した折り何度か聞かせてくれた話、覚えていますか」
「うん? …どんな話、したっけ」
 言われてざっと記憶を辿るけれど、色々ありすぎて判らない。首を傾げているオレを見て、御門はひとつ息をついた。
「真神学園に、とても面白い―――」
 御門が口を開くや否や、不意にばさりと大きな羽音を上げて、何かが直ぐ近くへと急降下してきた。
「う、わっ」
 舞い上がるほこりを遮ろうとして反射的に目許へ手を翳す。指の隙間から見えたのは1羽の鷹だった。急降下してきたそれは、地面を啄んでいた鳩をかぎ爪鋭い両足でがっちりと掴むと、来た時と同じ勢いで急上昇し飛び去っていった。
 突然の、しかもそうそうあり得ないような出来事に、ぽかんとしたまま空を見上げる。生活圏が狭まり都市型の生活をする鷹の話、は聞いたことあるけれど、それをまさかこんな近くで見ることになるなんて、どんな偶然だろう。
「…でたらめ過ぎる」
 ぼそりと呟く御門の声が聞こえた。見ると、少し難しげな面持ちで顎に片手を当て、先刻のオレと同じように空を見上げていた。
「龍麻さん」
「…なに?」
「昨日は、本当に旧知の誰とも会っていないのですね」
「ん、―――うん。…そう、だけど」
 確認するような声音に少し戸惑う。そんな風に確認されるようなことでもないと思うのだけど、どうだろう。でも、会っていないのは事実なので、こくりと頷いてみせる。
「判りました。…それで、先刻の話の続きですが」
「ああ、うん。なんだっけ」
 突然飛んできた鷹に驚き崩してしまっていた体勢を元へと戻しながら、そういえば何の話をしていたっけ、と記憶を辿る。でもなんだか思い出せない。軽く首を傾げて御門を見遣る。
「貴方が通っていた真神学園の―――」
「晴明さま、準備に手間取ってしまい申し訳ありません。お茶をお持ちしました」
 御門が何をか言いかけたところで、庵の出入り口から芙蓉が現れた。こちらへそう声をかけると、芙蓉は持ってきたお茶を慎重な手つきで黙々と配っていく。
「ありがとう、芙蓉。―――御門、…どうかした?」
 お茶を配ってくれた芙蓉にぺこりと頭を下げる。そして顔を上げたところで、御門がどこか少し驚いたような、軽く目を見張るような表情で芙蓉を見ていることに気付いた。その視線の先に居た芙蓉もそれに気付き、首を傾げる。
「晴明さま、何か」
「―――いいえ、何でもありません。芙蓉はお茶を」
「…はい」
 芙蓉が再びお茶を配り始めると、御門が深い深い溜息をついた。そして顔を上げると、じろりと睨むような視線を村雨へ向ける。村雨はその視線を平然として受け止め、更にうっすらと笑みまで浮かべた。目を眇めるようにして御門を見返し、にやりと笑う。
「―――な、面白ェだろう?」
「どこが面白いのですか。…馬鹿にするにも程がある」
 苦虫を噛み潰したような表情で御門は緩くかぶりを振る。村雨は口許に笑みを敷いたまま、頭の後ろで手を組み直ぐ後ろの柱へと寄りかかった。




<つづく>

モドル ススム

カエル