七夕の戀





 トン、トン、トン、と機織りの音が響く。丁度いい温度になった御茶をひとくち飲むと、庭に出された縁台の上、金色の髪を無造作に掻き揚げる。
「……平和だねぇ」
 言葉とは裏腹、どこか物憂げな視線を投げながら、夢貴(ゆめき)は頬杖をついた。



 はたりと音が止む。おや、というような風情で振り返る青の視線の先で、先刻まで閉ざされていた扉がぱたんと開かれる。現れたのは蒼の髪。その下の柔らかな青鈍の視線がゆるりと微笑んだ。
「あ〜、オリヴィエ、其処に居たんですか?」
 今では親しい者しか呼ばぬ名で呼ばれ、憂い顔が少し緩む。
「今日の分、終わったの?」
「ええ、見てください〜」
 延べられた腕の、日の光を弾いてきらきらと煌く織物に目を細める。地慧(ちけい)の織った布はどれも綺麗で丈夫だよね〜、と言いながら、じっとその布を見詰めてにっこりと微笑う。
「これも綺麗だねぇ。……私の肩布に貰っちゃおっかなぁ」
「え、だ、駄目ですよ〜。これは、光華(こうか)のですから……」
 伸ばされた手から織物を護るように、自分の腕を引き寄せる。困ったように眉を寄せる貌を一頻り眺めてから、くすりと夢貴は笑みを零した。
「ほらほら、そんなに抱き締めてたらくしゃくしゃになっちゃうよん?」
 はっとして腕を緩める彼に、また容の良い口元が緩む。くすくすと笑いながら立ち上がり、人差し指で額を突付いた。
「これ、献上してきたら晴れてあいつと逢えるんでしょ?……はやく行ってきちゃいなよ」
 茶化すような口調とその台詞の意味に地慧は思わず貌を赤らめた。





◇   ◇   ◇






 遡ること約1年前。
 本を読むことと機織りにしか興味のなかった地慧が、ひとりの男に戀をした。



 遍く智慧の源をその身に宿し、総ての言の葉を繰ることのできる唯一の存在。また、天界の民が身に付ける総ての衣を創り出す機織部の長でもある、地慧。常日頃から真面目一辺倒で知られていた彼が、天の川のほとりで出会ったひとりの男に心奪われ、馴染んだ機と糸を手放したのが1年程前のことだった。
 それからというもの、毎日のように天の川のほとりでふたりは逢瀬を重ねた。最初の頃こそ幾らかの仕事をこなしていた地慧も、次第に機織をする時間が減っていき、とうとう彼の部屋から機織の音が途絶えてしまった。
 智慧が失われ荒れていく身形を憂慮した天帝は、一計を案じる。
 機織の音が絶えてから半年ほどしたある日。地慧の住まう宮の門を閉ざし、蟄居を命じたのである。
 想いを交わした男と逢えず、地慧は機を織るどころかひがな一日泣き暮らした。食事も咽を通らず、日に日に痩せ衰えていく。数週間が過ぎたある日、その姿を不憫に思った仲間や側近等が天帝に進言を試みた。



 曰く、『職務に励むことを条件に、彼らの逢瀬を認めてやっては如何だろうか』と。



 地慧の様子を流石に不憫と思っていた天帝はその進言を採り入れ、1年に1度の逢瀬を許した。周囲の友や別れ別れになった男からの文に励まされ、地慧はだんだんと元気を取り戻し、やがて彼の宮からは機織の音が聞こえてくるようになったという。





◇   ◇   ◇






 それから幾許かの月日が流れ、ようやく『約束の日』を明日に控えた地慧が、つい先刻織り上げたばかりの布を抱え宮の廊下を小走りに急いでいた。
 と、何かに気がついたように足を止め、腕の中の織物を見下ろす。
「出来上がったら、直ぐに見せにいくって……約束していたんでしたねぇ…」
 そう伝えた時の嬉しそうな光華の笑顔を思い出しながら、地慧は首を傾げた。










≪織物を献上に行く≫         ≪光華に織物を見せに行く≫









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