雪の日
天斗




常春の聖地で、雪を見る機会はほぼ皆無だった。けれど、此処最近はどうやら、そうでもなく

なってしまったらしい。



「ルヴァ様、ぽんぽんを見付けたら、僕に一番先に教えて下さいねっ」

軽く息を弾ませて、金の髪の少年がまくしたてる。

「あー、はいはい、わかりましたよ。あなたに一番に教えましょうねぇ」

絶対ですよっ!と念を押して、またぱたぱたと駆けていってしまう。



「なに、どうかしたの? えらい剣幕だったじゃなぁい」

柱の影から現れた華やかな容姿の青年が声を掛ける。

「おや……オリヴィエじゃないですか〜、どうしたんですか?なにかわたしに用事でもありまし

たか〜?」

地の守護聖の執務室のドアの前、で会ったのだからそう思うのも無理はないのだが、彼の質

問にはまったく答えていない。ちょっと額を押さえながら、オリヴィエは口を開いた。

「……あのね、わたしはぱったぱた駆けてったまるちゃんの用事は何だったのかな、ってこと

を聞いてるんだけど?」



拳をぽん、と叩いて、あー、と若干間延びしたような声を上げる。

「いえね、ぽんぽんが逃げ出してしまったらしくてねぇ、この雪もその所為らしいですよ」

ふうん、とたいして面白くも無いような声を出して、じゃあ、もしかして、研究院の堅物と捕獲

競争、ってなとこなんだね?と返す。

「本当にあなたは回転が速いですねぇ。ええ、その通りなんです。で……」

「見付けたら、一番に教えて欲しい、って言ってた訳だ」

マルセルが駆けていった方向を見ながらそう呟く彼に、にっこりと微笑んでうんうんとルヴァは

肯いた。



くる、と振り返って、ルヴァに顔を近付ける。

「……あんたねぇ、そのとろ〜んとしたとこ、どうにかしなさいってば。そんなんだから、こーん

なお子様に逃げられちゃうのよっ」

そういって背後からぐい、とルヴァの目の前に突き出した腕には。



「あ〜〜、ゼフェル〜、何処行ってたんですか? 探したんですよ?」

首根っこをオリヴィエに掴まえられ、じたばたと足掻いているゼフェルが、

必死に話しているルヴァを尻目にオリヴィエに食って掛かる。

「おめーなぁっ! なんだってルヴァなんかの言う事きーてんだよっっ」

「……お子様はおだまりっ」

ぐりぐりとこめかみに拳を突き立てて捏ね繰り回す。

「いで、いででででっっ!!っや、やめろよーってめえっっ!」

二人のやり取りをはらはらしながら見守るルヴァに、再度ぐい、と腕を突きだして、ようやく見

付けてきたゼフェルを引渡す。



どうも済みませんでしたねぇ、とオリヴィエに謝辞を述べながら、ゼフェルの右肩から右腕を、

左脇から左腕を通し、抱えるようにして受け取る。

「もう逃がすんじゃないわよっ」

ひらひらと手を振って自分の執務室の方へ歩き出すオリヴィエ。その背中にお手数かけまし

たね〜、というルヴァの相変わらずのんびりとした声がかけられた。






銀色の髪をがしがしと掻きながら、目の前に山と積まれた図書を心底厭そうに見る。奥の小

さい書庫に通じるドアからにこにこと現れるルヴァ。彼の腕の中には更に数冊の本が抱かれ

ていた。それを見て盛大に溜息をつくゼフェル。

「貴方は前回もその前も勉強会にこなかったから、教えたい事がこんなに沢山たまってしま

いましたよ〜」

一応大人しく席に座るゼフェルの隣りに腰掛け、矢張りにこにこと微笑んで本を開く。やる気

がなさそうに視線を投げるゼフェルに、一章毎丁寧に説明し意見を求めていった。きりのいい

ところで、それまでのおさらいとばかりに幾つか質問を投げかけると、簡潔明瞭に回答が返っ

てくる。それはルヴァをして十分に満足させるものらしく、いちいち大きく肯きながら笑みを零

した。



結局の所、一度ルヴァの顔を見てしまえば、なんだか逃げたくても逃げられなくなってしまう、

という一種の弱点のようなものが、ゼフェルにはあるらしい。いつも逃げる時はルヴァの顔を

見る前に姿を消しているし、今も、やる気の無さそうな顔こそしているものの、ルヴァを納得

させる程度の受け答えがきちんとできるくらいには、その話を頭の中に納めているようだった。



他の2人に教える際要する時間の半分くらいで一冊目の本についての講義を終え、ゼフェル

の飲み込みの速さにひどく嬉しそうに肯きながら、休憩を提案した。

「そうそう、今日はお茶請けもあるんですよ〜」

御茶器を戸棚から出しテーブルに並べながら、楽しそうに話す。今持ってきますからねー、と

隣室に消えようとするルヴァの背中に、ゼフェルの声。

「ルヴァっ、あめーもんならいらねぇかんなっ」

「大丈夫ですよ。貴方でも、美味しく食べることができる筈ですから」

にっこりと笑って姿を消したドアを、ゼフェルの紅い瞳がほんの僅か嬉しそうな光を帯びて見

ていた。



「………うめぇじゃん」

ひとくち食べてぼそりと呟く教え子を、嬉しそうな青鈍の瞳が見つめる。

「すこぅしだけ、苦めに作ってもらったのですよ」

ひとつ、またひとつと口に運んでいくゼフェル。その向かいで微笑みながら御茶を飲むルヴァ。

ぱりぱりと菓子を食べながらふと窓の外に向けられた紅い瞳が、なにかを見つける。

目の前の教え子の、菓子を食べる手が止まったことに気付き、その視線が窓の外に注がれ

ている事に気付いたルヴァが、つられたように外を見る。



「おや…これは………雪ですねぇ」

「ゆき?」

聞き返すゼフェルにこくりと肯いて、から、と窓を開ける。

「晴れてんのに、なんでんなもん降るんだよ」

物珍しげにルヴァの隣りへと駆け寄って空を眺めながら訊ねる。くすりと笑い、ゼフェルにも

窓の外がよく見えるように身体を横へずらした。



「ほら、ぽんぽんですよ。体温調節のために雪を降らせたりするらしいです」

へぇ、と反射的に相槌を打った直後、あ、と短く声を上げるとゼフェルは何事か思い出して笑

い出した。

「あれだろ? こないだオスカーんとこの執務室まっしろにした奴!」

冷たい雪を被ってまっしろになっていた炎の守護聖の姿を思い出して、またけたけたと笑う。

困ったような笑い顔でゼフェルを見ながら、そんなに笑うものではありませんよ〜?、と御説

教めいた台詞を綴る。



「あ」

また何かを見つけてゼフェルが声を上げた。見ると、金と茶色の髪が白くなり始めた景色の

中で、なにかを追いかけながら走り回っていた。

「あ〜、マルセルとランディですねぇ。ぽんぽんが見つかったんでしょうか」

にこにこと笑うルヴァの脇で、その追いかけっこをじっと紅い瞳が見つめている。そんなゼフェ

ルの様子に気付くと、そっと腕を持ち上げて肩をぽん、と叩いた。

「ゼフェル、行ってきてもいいですよ? 」

雪の中を駆け回ってみたい、という気持ちを見透かされてしまったようで、ほんの少しだけ頬

を膨らませて憮然とした態度を取ってしまう。

「どーしてオレが行かなきゃなんねーんだよっ」

ばたばたとテーブルまで戻り、先刻まで座っていた椅子へどっかと腰を降ろす。茶ぁ飲んだ

ら続きやんだろ、とそっぽを向くゼフェルを、また困ったように見やる。



「え〜、あのですね……ほら、聖地で雪が降るなんて、とても珍しいじゃないですか。ですか

ら、見てくるのもいい経験だと……」

ぴくりとも動かずに居る銀糸にほんの少し溜息を付いて、窓を閉め自分も席へと戻る。首を

傾げながらやや思案をし、言葉を慎重に選びつつ、ゆっくりと続きを口にした。



「……ゼフェル、あのふたりだけだと……その、心配ですからね、無茶をしないように、見て

て欲しいんですよ」

足元に気を付けなさいね、とわたしが言っていた、ということを伝えてくれるだけでもいいで

すから………、とルヴァが其処まで言うと、ゼフェルがやにわに立ち上がった。

「あの………ゼフェル…?」

「……仕方ねぇなー。あんたにそこまで言われちまったら、行ってこねー訳にはいかねーじゃ

んかよっ」

口調こそ嫌々ながら、という雰囲気だが、表情は明らかに嬉しげで。その様子にほっと胸を

撫で下ろす地の守護聖。



上着を引っ掴んでばたばたと出て行こうとするゼフェル。その背中に慌てたように声をかける。

「あ、あ、ゼフェル、またちゃんとここに来るんですよ〜」

わたわたと玄関までついてくるルヴァに、振り返ってにっと笑う。

「わかってるよ、いちいちうっせーな、おっさんっ」

「ああ、また言いましたね〜っっ! おっさんじゃなくて、きちんと名前で呼んでください、って

あれ程っ……」

ばたんと威勢良く玄関のドアを開けて一面の銀世界へと飛び出していく。

「へっへ〜♪ んじゃ、いってくるぜーっっ! 」

少しだけ安心したような笑顔でひとつ溜息をつくと、嬉しそうに駆けていく後ろ姿をしばらく見

送っていた。



「3人とも、もっと仲良くなれると……いいのですけれどねぇ」

ぽんぽんを追いかけるふたりの名前を呼ぶのを遠くに聞きながら、小さくなる後ろ姿に思い

を馳せる。

「さて、ゼフェルが帰って来るまで、もう少し御茶でもいただく事にしましょうかねぇ」

相変わらずのんびりとした声でそう呟くと、ふ、と雪降る空を見上げ、ぱたんと玄関のドアを

閉めて居間へと歩いていった。


Fin








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